ペンギンの読書

読んだ本の感想を綴ります。

ユージニア

北陸のK市で起きた大量毒殺事件を巡るミステリーの形をとっている。

しかし実際のところ、これはミステリーなのだろうか。

14に分けられた章の半分近くは、ある人物が約30年前に起きたこの事件に携わった人物に事情を聴取するという形をとる。

「何か理不尽なことが起きたとき、人々は皆、理由を求めるのだ。大きな陰謀、邪悪な企み。弱い私たちは、そういうものを作り出さずにはおかない。自分たちよりも遥かに優れた存在に説明を求め、責任を転嫁せずにはいられない」

世界というものは元来、個々人の脳処理では追いつかないほどに複雑系だ。

仏教では、自分に降りかかる全てのことは数えきれないほどに様々な要因が連鎖した上で起こる必然的なものである、という世界の見方をする。

風が吹けば桶屋が儲かるではないが、全てはつながっているのだ。

しかしそんな見方はやはり一般的ではない。

500円玉を拾っただけで小躍りし、人身事故に巻き込まれればなんでいまこのタイミングなんだよと悪態をつくのが人間の性なのである。

その裏には何千というファクターが張り巡らされているとは微塵も思わない。

なぜなら、そのファクターをいちいち全て点検していったら時間などいくらあっても足りないからだ。

そこに人間の能力の限界がある。

しかし、世界は人間の能力に合わせて作られている訳ではない。

人間がつくったシステムが大半にもかかわらず。

創造者たる自負からくる全能感と現実との乖離が発生する。

この乖離を埋めるために、人は陰謀論を作り出すのかもしれない。

陰謀論とは世界をシンプルにするアクロバティックな荒技である。

複雑系にうんざりしてしまった人たちは低次式に魅力を感じる。

物事全てを善と悪に区別することなど不可能なのに、

それを無理矢理にでもやらなくてはいけないと考える人も少なからずいるのだ。